はらがへってはねむ

教師かカウンセラーが天職だったのではないかと思う時が、何度となくある。人にものを教えること、人の話を聞き、心情や環境を理解した上でそれに対する助言を行う。
要するに世話焼きなのかもしれない。しかしながら対価の発生しない世話焼きを重ねに重ねて自分が疎かになっているようでは元も子もない。
自分に余裕があって初めて他人を助けることができるのだから。もしこれらの世話焼きに対価や見返りがあるのならばそれが自分のためになり、自己の余裕にもつながってゆく循環を生む。
見返りを求めない聖人になるつもりはない。聖人ぶる余裕も強固なる自我も持っていない。