勇者さま挫折

挫折を味わう度に生きる意味を見失う。
ありとあらゆる愉しみが用意されているようで、それは全て虚構であるかのようにも思える。
簡単に手に入るものほどそうだ。


虚構でない、中身の詰まった愉しみというものはそう簡単に手に入るものではない。
それらは幾度となく挫折を強制する。
そういった時、例えば自分ならテレビゲームに没頭する。簡単に手に入る虚構のような愉しみだ。テレビゲームもそれも1ドット、1フレームに命をかける狂熱や人間の心を揺さぶるストーリーではなく、何時間か努力すれば誰でも手に入るレアアイテムだとかその程度のものに現実での敗北を埋め合わせる小さな達成感を求める。


日本という国はそういうものであった。時間を注ぎ込みレベルを上げれば誰しもが勇者になり、魔王を倒してハッピーエンドを迎えることができた。冒険者様は気楽な稼業ときたもんだ。クレージーキャッツドラゴンクエストらが全てを語っている。


しかしながら植木等谷啓もこの世になく、魔王が幾多の勇者をダンジョンに誘い込んで殺すこの御時世、サラリーマンと勇者が一生安泰であるという神話は崩れ去ってしまった。虚構が露わになった。


無気力な者は死ぬ。弱者は踏みにじられる。勇者は共に牌の奪い合いをする。来るべきなんとやら。私は心を踏みにじられながら周囲に怯えて内へと篭る臆病者だ。