Steve Lacyについて調べていたら辿り着いた。
http://homepage2.nifty.com/tofu-tokiwa/cd-7-2004.html
より

「近藤:フリー・ジャズが60年代後半にあるひとつの明確な形をとって盛りあがったでしょう。あの頃のすべてをとっぱらって演りまくるという形のフリー・ジャズは、黒人運動が盛りあがったあの時代においては、ある種のアナーキーな自由さをその音の中に感じたわけです。実際に。しかし状況の変化と共に、それはすぐ形骸化して、いわゆるフリー・ジャズの形だけが残った。最初は高木さんにしてもぼくにしても、吉田君にしてもそれを演ってきたのだけれど。バババッーと吹いてね、その瞬間。自分の気持の高まりも、汗を流して肉体的な快感もあるけれど、やがてたまらなくなってきたのです。音楽の自由さの何か違う面を求めようという気持でEEUは色々な事を演ってきたんだけれどわからない、その途中で、豊住さんが自分のグループを作って演るというので抜けて、ぼくらその時途方にくれました。ドラムがないなんて全然考えられなかったし。
高木:どうしたらいいか、悩んだ。
近藤:そこで山口(修)君に入ってもらったりして、やったけどわからない。それで段々ドラムの持つ意味を自分で考えるようになった。そうしてみるとドラムというのは、ドラムという楽器自体にものすごい権力性があるわけよね。叩いたら他の楽器よりもすごく大きな音が出てしまうパワーがあるし、それはドラマーのパワーじゃなくてドラムそのものが持っているパワー、それにまどわされて。そういう事をもう一度客観的に見ているドラマーってのが少ないわけよね。フリー・ジャズはドラムの持つ権力性によって足枷をされてるんじゃないかという事に段々気がついてきたんです。ドラムによって音の方向が規制されてしまう面が強いのがわかってきたのです。例えばある瞬間にこっちの方向に音を出したいと思った時に、三人で演ったらそういう音が出せるって事に気づいてきたわけです。そしてもっと自由なアンサンブルが出来るんじゃないかと実感してきて、やっとぼくらもドラム・レスの意味がわかってきて、今まで続けて演ってきているんだけど。それにしてもきついよね。三人の音がとまったら何もないわけでしょう(笑)。」jazz誌1977年4月号より