ジャズのキャズム。ジャズム。

藤本忠昭による"Christian McBride / A Family Affair"のライナー・ノーツより引用。

 しかし、彼ら若いミュージシャンの傾向はそういうものとは少々ニュアンスを異にする。それはひと言で言えば"ジャンルに対するこだわりのなさ、屈託のなさ"だ。
マイルスが電化8ビート、あるいは晩年ヒップ・ホップに走ったのは、自分は帝王であり、帝王は道を切り拓いていかなければならないという強い使命感ゆえにだろう。その流れを受けたハービー・ハンコックにしろチック・コリアにしろウェザー・リポートにしろ、ジャズ・フォーマットの音楽をやる時以外は、ある種の構え、別の地平に踏み込んでいくのだという"力み"のようなものがあったではないか
 けれど最近の若い連中はどうか。この上なく伝統的なフォーマットでシリアスな4ビートを演奏したかと思えば、ヒップ・ホップ的アプローチで現代の若者の顔をアピールするジョシュア・レッドマン。そのジョシュアのグループでエルヴィン・ジョーンズもかくやというようなエネルギッシュな4ビートを叩き出す一方で、ボブ・ディランピーター・ガブリエルといったロックの大御所と積極的に共演するブライアン・ブレイド。ミューオリンズというキーワードから解き放たれて、のびのびと自分の歌を歌いはじめたニコラス・ペイトン。彼らにとってはジャズがそうであるのとおなじように、ソウルもファンク・ミュージックもアメリカン・ロックもまた、かけがえのない自分のルーツであるのだろう。

僕がジャズ研やHotの合宿で何かもどかしく感じたのは、このライナーに書いてあることの逆で、ジャズをやる若い連中が「ジャズに対して執着」していたからではないかと気付いた。彼らはいわゆる4ビート(せいぜいボサノバ)に執着し、他の音楽に大きな隔たり*1を持っているのだ。僕はもっと幾多の音楽的ルーツの一つとしてジャズを捉え、演奏したいと考えてジャズが行われる場所へ赴いたのに、そこではジャズが全てだった。そこに息苦しさを感じたのだ。


じゃあ打開策は?

*1:キャズム(笑)