そりゃあんな27歳がいたら抱きしめてやりたいよ

言の葉の庭、良かった。良かったし、救いがあった。

ただ、新海誠やkey作品(他で言うとあの花とか)のようなオタクの純粋無垢な心の持ち主でないと踏み込んで感情移入できない作品にどうしても馴染めない。
性善説を素直に信じていて「人間はみんなわかりあえて、一つになれるんだ!」と言われるようなノリにのめり込めない。どうしても幼稚に見えて冷めてしまう瞬間がある。作品をくさすというよりは、そうやって楽しめない自分が悔しい。良さがわからないのが悔しい。糸井重里なら「良さ」を見出してくれるんだなぁ。

ああ、だから紙の日記書くべきなのだ

Twitterをやればやるほど孤独を強く感じる。距離を、孤立を。やらない方が、人と親密な距離で接することができる。
たぶん、己が相対化されるからだ。己が相対化されて確固たるものが揺らぎ始めるのがどうにも耐えられない。すべての発言が自分の位置を意識したものになる。すべての言葉が距離にコントロールされてしまう。


だのに一切を捨て去ることもできず、連絡手段として使わざるを得ないことから引き戻されてツールとの距離感を保つこともできない。いや、しなければならないし、これからはするのだ。