監修:小川充 / スピリチュアル・ジャズ
- 作者: 小川充
- 出版社/メーカー: リットーミュージック
- 発売日: 2006/06/15
- メディア: 楽譜
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70年代、公民権運動やベトナム戦争によって社会意識が高まることによって生まれたファンク、ソウル的要素を大きく取り入れた「スピリチュアル・ジャズ」のディスクガイド。
スピリチュアル/レアグルーヴ的なジャズのディスクガイドは今まで全く存在していなかったし、彼らによってBlack JazzがCD化されたという点では非常に有難い本。
でありながら、「ダンスミュージックとして機能する種類のジャズ」であること、「語り手が全てジャズ側ではなくDJ側の人間」であることの二つの点での欠点も指摘できる。
「モーダルな演奏」とか「ポリリズミックな曲」とか散々書かれてウンザリする。ポリリズムなのかモノリズムなのかハッキリしろ。「音楽は全部スピリチュアルなんだよ」とか頭悪いこと言うな。
「スピリチュアル・ジャズ」のディスクガイドを謳っておきながら「Albert Ayler / Spiritual Unity」のアの字も出てこないのはどうなの。そりゃESP-Diskじゃ踊れないけど。ダンスミュージックとして機能するものだけ即物的に語りすぎなんじゃないの。
同じような流れで申し訳程度に4ページだけ書いてる「ジャパニーズ・スピリチュアル・ジャズ」の知識の乏しさ。
そもそも1960〜70年代の高度成長期の日本においては、人種差別、麻薬、貧困といった問題が、アメリカをはじめとした海外諸国に比べると表面化しておらず、従ってそうしたシリアスな問題を音楽の世界に持ち込む土壌もあまりなかった。幸か不幸か、第二次世界大戦後の我が国平和な状況が、世界で起こっているさまざまな問題を直視せず、それを海の向こうのいち出来事として片づけ、平和な日々をただただ感受する、そうした現実からの逃避とも言える国民性を、我々日本人のなかに植えつけていった。
高らかに自由の賛歌を唱えたり、戦争への反対や平和を願ったような、そうしたダイレクトなメッセージ性を持つものは、日本のジャズにはあまり存在しない。
じゃあ山下洋輔は何故早大のバリケードの真ん中でピアノを燃やしながら弾いた?学生運動はどこへ行った?
クラブジャズとして機能する日本のジャズならば確かに板橋文夫が一番目に上がるだろう。だが渡辺貞夫を『アフリカ音楽に強く魅入られ』の一言で片付けている点(ブラジル→フュージョン→アフリカだろう)、富樫雅彦が最後の3行に名前が挙がるだけの点(スピリチュアル・ネイチャーは?スピリチュアル・モーメンツは?)、こいつ(小川充)日本のジャズをバカにしているとしか思えない。
小川充はDance Music Recordsのジャズバイヤーだそうです。マジかよアレかよ。失望した。