バイバイimoutoid。

僕はそれほど付き合いが長いわけでも頻繁に会うわけでもなかった。
ナードコアについて調べていたらファミコン宇宙人とやらに辿り着いたのだが、サイトは閉鎖していた。
imoutoidという奴がどうもファミコン宇宙人らしいとの記事を読み、Aphex Twinの4をアニソンアレンジする素晴らしいバカを見つけた。
彼のblog記事のmixiトラップにひっかかり、やけになってメッセージを送ったところ返事が。17歳、嘘だろ。
imoutoidと直接会って話したのはメガピア2とその翌日のimoutoidオフの2回だけだった。物凄く頭が良い、音楽センスに溢れた切れ者であり、精神的にはどこにでもいる内気でナイーブな10代の少年だった。僕の印象では。


imdkm、tofubeatsの関西組、それとマルチネ首領tomadの恐るべき平成生まれ達はセプテンバー9月やらStudio Voice向けの座談会やらで何度も落ち合っていたようだけれど、僕は結局TwitterもろもろのWeb上での付き合いだけになってしまった。
blogやTwitterを見ていると彼は家でひたすら音楽を作り、DAWのバグを見つけたり負荷をかけすぎて落としてしまうほど神経質で細かいギミックまで駆使し、壁にぶつかって弱音を吐いていた。オフ会の時、彼は自分の楽曲データの入ったLogicを開いてオタクDTMerたちの真ん中で事細かに仕掛けを説明していた。エージェント夜を往くのリミックスの「とかちつくちて」のスタッターエディットで「とかちつくちて」だけでNI Batteryに32個ほど、Velをピッチエンベロープ等とSyncさせて切り刻む。シンセベースでゴーストノートを出すために2オクターブほど下で32,64分音符、それより細かいtick単位で音を鳴らす。家で延々と4声のストリングスセクションを作る楽しさを嬉しそうに語る。あの時話していたことはきっとほんの一部であって、もっともっと色んな実験をしていたのだろう。


その後トントン拍子でimoutoidは出世してゆく。オタクDTMer界隈では既に騒がれていたのが、Re:MIKUSではメジャー流通に乗り、ライブ出演も様々な場所から声がかかり、さぁ次はimoutoid名義のアルバムも来るのだろうといった勢いだった。信じられないような勢いで煽り立てていた。Twitterではネガティブな発言も増えていた。どんなに頭が良くても18かそこらだ。僕はせめて優しいお兄さん役に立ち回ろうと思った。普段アホなことを抜かしてたまに真面目になるギャップを狙っていることも全て見抜かれていた。けれど、彼はそういった優しさを必要としていた。それで彼の精神が安定して創作活動が進めば、と思って僕は募金をする人間ぐらいの気持ちの「する偽善」、imoutoidはワシが育てた、ぐらいになれれば良いと思っていた。コード進行、楽曲分析の話もしたし、バカみたいな弾き語りを聴かせたり、彼が仕事の合間の遊びでその弾き語りの一曲目にオケを載せてくれたりもした。僕は随分楽しませてもらった。彼も楽しんでくれただろうか。


SVやQJへの掲載、DJ TechnorchDE DE MOUSEによる激プッシュ、Re:MIKUSへの参加、3月4月と時が経ち、彼が有名になるにつれて情緒不安定は増してゆく。4月中頃、電車に乗っている最中に非通知の電話がかかってくる。戸惑いながら話しかけるとしばしの無言のあと「ばーか!」の一言で電話は切れた。それが最後の会話だった。
4月末、彼は胸が痛いだとか月曜日に死ぬといったことを連呼し、ある日を境に更新が途絶える。以前の家出の一件の時は関西のtofubeats周辺がドタバタ騒いでいたけれど今回何も騒ぎがないので、また家でくすぶっているのだろう、しばらくしたら帰ってくるのだろうなどと思っていた。帰ってきたらまた兄貴面してやろうと思っていた。そして彼が音楽界に衝撃を与える日を期待し、帰ってくる時を待ちわびていた。


彼が帰ってくることはなかった。


夜明けのテンションで書いたただの一方的な思い出語りになってしまった。ありがとう。ごめんな。バイバイimoutoid